レッドブルが仕掛けた――リアル・ライフ・トーキョードリフト。

記事提供元:turnpike
この夏イタリアに帰省していたときのことだ。深夜に、ヨコハマタイヤの斎藤さんから「10月4日の土曜日を空けておいてくれ」とメッセージが届いた。
どうやら何か面白いことが起きるらしく、俺にも「見に来い」と招待が来たわけだ。ここで少し説明しておくと、斎藤さんはJDMシーンの生きる伝説。かつてはHKSのマーケティングを仕切っていた人物で、数年前にヨコハマタイヤへと移り、タイヤ業界のイメージ発信そのものを塗り替えてきた男だ。
だから斎藤さんが「3か月後のその日を空けておけ」と言ったとき、俺は即座にスケジュールを押さえた。理由なんて聞くまでもない。
そして月が変わるころには、10月4日をめぐる噂がじわじわと広まり始めていた。どうやらレッドブルが極秘のアンダーグラウンドミートを仕掛けているらしく、開催場所は東京湾のどこか、詳細は一切非公開。フライヤーもなければ公式サイトもない、リークすらない。あるのは暗号めいたDMと、昔ながらの口コミだけだった。
場所が明かされたのは当日。招待状を2枚手に入れた俺とアレックは、それぞれのクルマを引っ張り出し、グーグルマップに住所を入力。辿り着いたのは巨大なESRの物流センターだった。看板もなければクルマの列もない、ざわめきすらない。入口を示すのは、レッドブルカラーをまとった2台のミニだけ。
コンクリートの立体迷路を、ストロボとLEDストリップ、そしてレッドブルのサインが照らし出す中を進んでいく。3階にたどり着いた瞬間、そこが“現場”だとすぐに分かった。チューニング車の海を抜け、ビートを刻むDJブース、フードやドリンクの屋台、見覚えのある顔ぶれが手を振りながら出迎えてくれる。そして俺たちは、あらかじめ割り当てられたスポットへと案内された。
そこに集まっていたのは、まさにJDMの縮図だった。トップシークレットのスモーキー、RE雨宮の雨さん、ヴェイルサイドの横幕さんといった往年のチューニングレジェンドから、リバティウォークの加藤さんやTRA京都の三浦慶といった新世代の顔ぶれまで勢揃い。プロドライバー、ドリフター、ショップオーナー、ビルダー、メディア、インフルエンサー――まるで日本のチューニングシーンがその夜、丸ごと一つのフロアに凝縮されたようだった。
そこはまさに、歴史と進化、そして未来がひとつに交わるクレイジーな空間だった。だがレッドブルは、名だたるビッグネームたちだけを招いたわけじゃない。俺たち、リアルなコミュニティの一員たちも、ちゃんとそこに招かれていたのだ。
会場の大半を占めていたのは、真のエンスージアストたちが自ら手をかけて仕上げたプライベートカーたちだった。シーンでは名の知れた有名車もあれば、滅多に姿を見せない謎めいた一台もある。日本車と欧州車が入り混じり、細部まで作り込まれたショーカーから、RWBポルシェ、ストリート仕様のドリフトカー、そしてあの伝説的ミッドナイトクラブの湾岸マシンまで――どの一台も、センスと魂が詰まっていた。
そのラインナップは実に見事で、日本独自のカーカルチャーを象徴するあらゆる“ぶっ飛んだ”要素が、完璧なバランスで選び抜かれていた。
さて、本題に入ろう――俺たち全員が理性を吹き飛ばされた“あの瞬間”だ。午後8時ちょうど、突如として照明が落ち、場内が静まり返る。そして次の瞬間、あの甲高い4ローターの咆哮が壁に反響した。
姿を現したのは、マッド・マイク・ウィデット。TCPマジックが手がけた4ローターのマツダ3からは、まるでドラゴンのように炎が吹き出す。そのすぐ後ろを、わずか15歳の箕輪日向が、クスコ製2JZ搭載のトヨタGRカローラで追従。まるで映画のワンシーンのように、2台は倉庫のランプをフロアごとに華麗なタンデムドリフトで駆け上がっていく。まるで『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』そのもの――いや、それよりもずっと生々しく、爆音で、リアル。ヤバすぎた。
レッドブル・トーキョードリフトは、単なる一夜のイベントじゃなかった。それは、このカルチャーが今も生きているという宣言だった。ストリートはいまも語り続けている。そして――世界が再び、その声に耳を傾け始めたのだ。
本当の疑問はひとつ――次はどこへ、このムーブメントを持っていくつもりなのか。












































































