Lexus LFAベストなるには遅すぎた。それでも伝説に。

記事提供元:TRUNPIKE
ライター:Louis Yio(ルイス・ヨー)
全米から40台のLFAがラグナビーチ(カリフォルニア)に集結!
レクサスLFAは、まさに唯一無二のエンジニアリング作品だ。あまりに時代を先取りしていた…にもかかわらず、どこか時代に取り残されてもいた。その両極を併せ持った稀有な存在。
このクルマが登場したのは、トヨタが「ベージュ化」していた時代。スープラ、セリカ、MR2といった象徴的なスポーツカーたちは2000年代初頭に軒並み生産終了。トヨタは、長らく“クールなクルマ”を作っていなかった。





IS Fというモデルもあったにはあった。だが、ドイツ御三家の強烈な個性と比べると、どうしても埋もれてしまっていた。カローラやマトリックスのXRSバージョンも悪くはなかったが、「レクサス=実用車ブランド」というイメージを覆すには、決定打に欠けていた。
そんな中、LFAが登場した瞬間、僕の中の「レクサス像」は完全に書き換えられた。あのTop Gearの名シーン、覚えてるだろ?リチャード・ハモンドが、真っ白なLFAを走らせていたあの回だ。あの映像、いまだに僕の頭の中でタダで住み着いてる。





それは、これまでに見たどの日本車とも根本的に異なっていた。そしてその瞬間、僕の「夢のクルマリスト」のトップに一気に躍り出た。あれから何年も経った今でも、そのポジションは変わっていない。
LFAの歴史はおそらくご存じだろうけど、もし知らないなら簡単に説明しよう。LFAは間違いなく素晴らしいマシンだった。ただし、市場に存在していたライバルたちと比較すると、価格があまりにも高すぎたのだ。





37万5,000ドルという目が飛び出るような価格にもかかわらず、LFAはすべてレクサスにとって赤字で販売された。というのも、開発の途中で一度プロジェクトが白紙に戻されたからだ。当初はアルミ製シャシーで進んでいたが、レクサスは途中でカーボンモノコック構造に切り替える決断を下した。その結果、LFAの市販化は大きく遅れることとなった。





LFAがようやく登場した頃には、すでにライバルたちは一歩先を行っていた。見た目やスペックだけを見れば、スーパーカーとしてのLFAは確かに素晴らしかった。だが、それだけに他のクルマと比較されやすく、実際に多くのジャーナリストたちはそうしたのだ。
LFAそのものが持つ価値を理解しようとする代わりに、「Xのほうがここが優れている」「YのほうがZが上だ」といったレビューが目立った。それでも、LFAは少数ながら影響力あるジャーナリストたちの心をしっかりと掴んでいた。





ネガティブな評価はさておき、LFAが残した最大の功績のひとつは、トヨタのGRブランド、そしてレクサスのF SPORTブランドを確立する「火種」となったことだ。そのきっかけを作ってくれたのが、トヨタの名テストドライバーにしてGazoo Racingの創設者でもある成瀬弘氏であることは間違いない。
彼は1960年代初頭にトヨタに加わって以来、その道を突き進んできた。LFAは彼にとって最後のプロジェクトとなったが、残念ながらニュルブルクリンク・エディションの開発中に事故でこの世を去ってしまう。その限定仕様車は後に、ニュルで量産車最速タイムを記録することとなった。






時は流れて現在。トヨタには、活気あるGRサブブランドがしっかりと根を下ろしている。すべては、あの「狂ったようなV10スーパーカー」…市販車史上最高とも言われるエキゾーストノートを持つLFAのおかげだ。LFAのデビューからすでに15年以上が経ち、世間の評価も大きく変わった。
そして、トヨタというブランド自体も大きく変貌を遂げている。もはや「ベージュ時代」のトヨタではない。いまや300馬力のRAV4クロスオーバーが、シビック・タイプRと直線で張り合う時代だ。さらにGRヤリスやGRカローラといった、まさに走りを追求したモデルも存在する…しかも偶然ではあるが、それらはLFAを生産していた日本の元町工場で組み立てられているのだ。





現行A90型スープラは、いま市場にある中で最も楽しく、そして信頼性の高いスポーツカーのひとつだ。そしてLC500は、少なくとも僕の目には現在販売されているGTカーの中で最も美しい存在に映る。
こうした変化の背景には、豊田章男氏の掲げた「もっといいクルマをつくろう」「退屈なクルマはもういらない」という信念があるのだろう。もしかしたら、彼自身がLFAで成瀬弘氏とともにレースに出ていた経験が、この方向転換に何らかの影響を与えていたのかもしれない。
わずか約500台しか生産されなかったLFAという希少なレクサスは、記憶に残る運命にあった。オーナーたちは、自分たちの375,000ドルのマシンが、トヨタという企業全体の価値観を変えたと胸を張っていい。LFAの遺産は、トヨタを愛する者たちにとって、最も大きな転換点のひとつとして語り継がれていくだろう。
損して得を取る…LFAは「失敗という名の成功」だったのだ。






では、LFAのこれからはどうだろう?実はレクサスは、LFAオーナーへのサポートに対して本気で取り組んでいる。その証として、米国に登録されているすべてのLFAオーナーに向けて、感謝の意を込めた特別な招待が送られたのだ。
幸運なことに、僕はレクサスのエージェンシーのひとつ「Team One」から声をかけてもらい、LFAとカーカルチャーにとって歴史的なこの瞬間を記録する役目を担うことができた。このリユニオンのために、全米から40台のLFAがラグナビーチ(カリフォルニア)へと運び込まれた。
しかも、そのうち4台があの「ニュルブルクリンク・エディション」。それまで僕は一度も実車を目にしたことがなかったので、4台同時に並んでいる姿を見た瞬間、まさに「夢か?」と自分をつねるレベルの体験だった。普段は「スーパーカー狂」というわけじゃないけれど…LFAだけは、別格なんだ。だから、ここから先は少しオタクっぽくなっても許してほしい。





アメリカに正規輸入されたLFAはわずか117台。そのうちの実に34%がこのリユニオンに集結したのだから、冷静に考えても異常な光景だと思う。
ツーリングは南カリフォルニアを巡るルートで行われ、美しい海岸線・パシフィック・コースト・ハイウェイを走り、東に広がる山々を越える構成だった。その途中には、トヨタが誇るCalty Design Research(キャルティ・デザイン・スタジオ)にも立ち寄るという粋な演出も。
ちなみにCalty自体はLFAのデザインには直接関与していないが、FT-1コンセプトや新型LC250ランドクルーザーなど、数々の象徴的モデルを手がけてきたトヨタの「美意識の源泉」とも言える存在だ。



LFAオーナーたちはこの後も別のスケジュールが組まれていたが、僕たちはサウス・オレンジ・カウンティのCars and Coffee(カーズ・アンド・コーヒー)でフィナーレを迎えることとなった。会場はカリフォルニア州サンクレメンテ。ここは南カリフォルニア最大級のCars and Coffee系イベントとして知られ、毎週末、王道スーパーカーからガレージビルドの「スーパーカーキラー」まで、とにかく多彩なクルマが集まる名物ミーティングだ。
今回は特別に、LFAのために会場中央の2列分が確保されていた。この土曜の朝、LFAたちは「主賓」として迎えられたのだ。









いつか、俺も必ず手に入れる。あとは……そうだな、80万ドル(約1億2,000万円)を用意するだけ…だって、全部値上がりしちゃったからね。
まあ、余裕っしょ。