これぞNISMOの極地!1999年式スカイラインGT-Rの珠玉プロジェクトカー登場
記事提供元:MotorTrend
ライター・フォトグラファー:Jofel Tolosa
フォトグラファー:Marvin Recinos
日産スカイラインGT-R R34は、世界中のクルマ好きたちの夢を乗せた存在だ。スカイラインがどのようにして、あるいはどんなきっかけで、何世代にもわたり人々の心に入り込んできたのか、その道のりは実にさまざまだ。グランツーリスモで出会った人もいれば、『ワイルド・スピード』シリーズのワンシーンでその魅力に取り憑かれた人もいるだろう。あるいはポール・リーのように、かつて雑誌でその姿を目にし、運よく『Super Street』の紙媒体でそれを見て、サーキットを支配する走りに心を奪われたのかもしれない。
リーやアメリカの多くのGT-Rファンにとって、スカイラインGT-Rは「いつか自分のガレージに置きたい」と願う聖杯のような存在だった。というのも、日産ディーラーで普通に買えるようなクルマではなかったからだ。リーは輸入車のスペシャリストであるTop Rankに相談し、王道とも言える1999年式スカイラインGT-R Vスペック、ベイサイドブルーを選んだ。だがひとつ問題があった。2022年当時はまだアメリカで合法的に輸入できる年式ではなく、しばらく保管せざるを得なかったのだ。それが変わったのは2年後、いわゆる「25年ルール」が適用され、ついにR34がアメリカに上陸した。
パーツの嵐
コンディションは文句なしで、ワンオーナー車で走行距離はわずか2万マイル。アメリカに届く前の保管期間中、リーはひたすらNISMOパーツを集めまくっていた。日本、オーストラリア、アメリカと、ありとあらゆるルートを駆使して手に入れたパーツの数々。彼が目指していたのは、NISMO大森ファクトリーで手がける「CRS(Clubman Race Spec)」仕様のR34だった。
「この2年間で、けっこういい感じに集められたと思う」とリーは語る。「中でも一番うれしかったのは、NISMOのカーボンエアボックスを手に入れたことだね」。このエアボックスはすでに長らく廃盤となっており、もともとの生産数も少ない超レアアイテム。このとき彼は「GT-R税」の存在を身をもって知ることとなり、NISMOの定価の2〜3倍という価格で手に入れることになった。
アメリカ上陸
このR34は2024年2月、カリフォルニア州ロングビーチ港に到着し、そのままTop Rankの施設があるカリフォルニア州サイプレスへと輸送された。R34は届いてすぐにリーのメカニックの元へと送られ、ノーマル状態のままだったのはほんのわずかな期間だった。3ヶ月後には、彼が夢見たすべてのNISMOパーツが装着された姿に変貌。NISMO Rチューンボンネット、Zチューンフェンダー、Sチューンバンパー、サイドスカート、リアスパッツなど、外装だけでも目を引くアイテムがずらり。ボンネットの下にもNISMOパーツがふんだんに使われているが、ターボは純正からGarrett製GTX2860 Gen 2に変更済み。さらにTomeiやHaltechのパーツも組み合わされ、ホイール出力で520馬力という実力を叩き出すまでに仕上がった。
終わりなき進化
この仕様でリーはすでに1年以上ドライブを楽しんでいるが、さらなるパワーを求める気持ちはすでに芽生えている。Zチューンや400Rのような、RB26の2.8L化を施した名機たちに触発され、今年の次なるステップとしてNitto製2.8Lストローカーキットの導入を決意。中間トルクをさらに引き上げるのが狙いだ。我々としては、たとえ2.8L仕様になったとしても、彼のビルドがそこで終わるとは到底思えない。そして何より確かなのは、もはやこの1999年式スカイラインGT-R R34が、再び倉庫の奥で眠るようなことは二度とないということだ。ポール・リーがそのステアリングを握っている限り。