HKS Zero-R
記事提供元:SPEED HUNTERS
記事:Dino Dalle Carbonare
真のスカイライン通なら、この1台の存在を見逃すことはない。それはNismo 400Rでもなければ、Z-tuneでもない。それらが誕生するはるか以前、すでに伝説となっていたマシンがある――それがHKS Zero-Rだ。1990年代初頭、HKSはドイツのRUFがポルシェに対して行っていた手法をスカイラインGT-Rで実践しようと考えた。BNR32をベースに、RB26チューニングで培ったノウハウを惜しみなく投入し、GT-Rのポテンシャルを最大限に引き出すことを目指したのだ。このアイデアは理論上は完璧だった。しかし、現実は甘くなかった。HKSは4台のZero-Rを完成させたが、問題はその後に待ち受けていた。Nissanの正式なモデルではなく独立した1台として登録するためには、当時の規制に従い、クラッシュテストを実施してホモロゲーション認可を取得する必要があった。しかし、それには膨大なコストがかかる。Zero-Rの販売価格は当時1,300万円(現在の為替換算で約14万5000ドル)に設定されていたが、それでもプロジェクトを続行するには採算が合わなかった。HKSはプロジェクトの中止を決断せざるを得なかった。最終的に、HKSは3台のZero-Rを保有し、残る1台はブルネイ国王の元へと渡った。彼の膨大なコレクションの一部として、遥か遠い異国の地へと送られたのである。HKSが保管していた3台のZero-Rは、静岡の本社工場に眠っていた。そのうちの1台は、長年動かされることなく、工場の外に放置されていたのを何度か目撃したことがある。――なんという惜しい逸品なのだろうか。
しかし、2006年になって状況が一変する。HKSは、当時の規制が緩和され、Zero-Rの公道登録が容易になったことを発見したのだ。これを機に、長らく半ば放置されていたZero-Rを蘇らせるプロジェクトが始動することとなった。この復活プロジェクトの指揮を任されたのは、HKS東京ファクトリーの菊池氏。彼はGT-R Magazineの小さな記事で計画を発表すると、瞬く間に問い合わせの電話が殺到。残る3台の伝説的なZero-Rを購入したいという熱狂的なファンが、次々とHKSに連絡を寄せた。しかし、菊池氏はこう説明する。「オリジナルのZero-R(450馬力・363lb/ftのトルク)のままでは、現代の市場では通用しない」そこでHKSが目指したのは、ゼロから完全に再構築し、最新のHKSパーツを惜しみなく投入した“究極のストリート仕様GT-R”を作り上げることだった。
このシルバーのZero-Rが最初に完成した1台であり、HKS東京ファクトリーでの撮影および試乗に招待された。この車両は、その後大阪のGT-R狂の医師の元へと届けられることになっていた。エクステリアは一切変更されていない。Zero-Rを知る者ならすぐに分かる、あの独特なボディパーツこそがこのマシンのアイデンティティであり、手を加える必要はなかったのだ。さらに、新オーナーはホイールにもこだわった。Zero-RのためにイタリアのTecnomagnesioが特別に製作したワンオフのマグネシウム合金製ホイールを、そのまま履き続けることを決断したのである。
このマシンには日産のバッジは一切存在しない。リアに刻まれたHKSのエンボスロゴが示す通り、これはHKSが完全に再構築した1台なのだ。
オリジナルのZero-Rには、HKSがRB26DETT向けに開発した最初期のシングルターボキットのひとつであるTA45Sタービンが装着されていた。しかし、これはすでに生産終了となって久しく、今回の再構築ではエンジンそのものを刷新。当時の仕様にこだわるのではなく、最先端のハイエンドパーツを惜しみなく投入することとなった。まず採用されたのは、Nismoの限定GTブロック。これはJGTCで戦ったGT500仕様のR34 GT-Rから供給されたもので、分厚いシリンダーウォールを持ち、強度を確保しつつ、HKS製2.8L鍛造ストローカーキットを組み込むのに最適な設計となっている。排気量を200cc拡大することで、どの回転域でも強烈なトルクを発生させるレスポンス重視のセットアップが実現された。さらに、圧縮比を8.5:1から8.7:1へ向上させ、HKS独自のV-Cam可変バルブタイミングシステムを搭載。このV-Camは、HKS GT2530ツインターボと組み合わせることで、最高出力600馬力・最大トルク477lb/ftを発揮する仕様となっている。しかし、HKSのアップグレードはエンジンにとどまらない。「現代的なフィーリング」を持たせるため、トランスミッションも大幅に強化。BNR34 GT-R用のゲトラグ製6速ミッションを採用し、Nismo製カッパーミックスクラッチを装着。さらに3.9ファイナルギアを組み合わせることで、エンジン特性に最適化された完璧なセットアップへと仕上げられた。これにより、Zero-Rは単なる復刻ではなく、HKSが長年にわたり理想としてきた「究極のストリートGT-R」へと進化を遂げたのだ。
HKSのファクトリーで10年以上眠っていたことで、サスペンションの劣化は避けられなかった。そこでHKSは、サブフレームを含む足回りのすべてのコンポーネントを徹底的に分解し、ブッシュ、リンク、サスペンションアームをすべてNismo製のパーツに交換。これにより、ステアリングフィールとハンドリングがシャープになるだけでなく、よりアグレッシブなジオメトリーが与えられ、たまのサーキット走行でも存分にその性能を発揮できる仕様となった。さらに、Zero-R専用にセッティングされた特別仕様のHKS Hyper Max II車高調が組み込まれ、現代のストリートでも理想的なバランスを実現している。
このシルバーのZero-Rのオーナーは、より純正らしい雰囲気を求め、オリジナルのレカロ製ドライバーズシートをBNR34純正シートに交換している。内装には、元々装備されていたアルカンターラ張りのステアリングホイールや320km/hスケールのメーターが残されているが、そこに最新のDefiメーターが多数追加され、現代的な計器類が並ぶインパネへとアップデートされている。
さらに、グローブボックス内にはV-CamコントローラーやHKS製トルクスプリットコントローラーなどの“おもちゃ”が収められ、ドライバーが細かく制御できるようになっている。
ブースト制御には、HKSの限定モデルであるEVC「Black Limited”」ブーストコントローラーが採用されており、純正の灰皿部分にスマートに収められている。
アルパイン製HDDナビゲーションは、単なるナビ機能にとどまらず、TVやDVD再生にも対応したエンターテインメントシステムとしての役割も果たしている。もちろん、オーディオ機能も充実しており、快適なドライブを演出する。
こちらがインテリアの様子だ。助手席にはオリジナルのレカロシートがそのまま残されており、Zero-Rの歴史を感じさせる貴重なディテールのひとつとなっている。
Zero-Rには後部座席が存在せず、完全な2シーター仕様となっている。その理由は、HKSが車両下部の燃料タンクを撤去し、そのスペースを利用して複雑なツインエキゾーストシステムをレイアウトしたためだ。燃料タンクは後部座席があった位置に移設され、専用のボックスに収められている。もちろん、車体の高い位置に大きな質量を配置することはハンドリングにとって理想的とは言えないが、HKSにとってはそれ以上にこのZero-Rならではの独創的なリアデザインを実現することが重要だったのだ。
アンダーカバーを取り外すと、その全貌が明らかになる。複雑にレイアウトされたツインエキゾーストシステムが見て取れるが、特筆すべきはサイレンサーの存在だ。これにより、600馬力という圧倒的なパワーを持ちながらも驚くほど静粛性の高い仕上がりとなっている。
公道に出たZero-Rは、ただならぬ存在感を放っていた。唯一無二の仕様であることはもちろんだが、それ以上に驚かされたのは、その走りの完成度だ。HKSが手掛けたRB26は、これまで乗ったどのエンジンとも異なるフィーリングを持っている。排気量の拡大によってトルクの厚みが増し、低回転からスムーズに立ち上がる。GT2530ツインターボのスプールも速く、V-Camシステムの効果でどの回転域でも扱いやすい特性に仕上がっている。そして600馬力の全開加速――ブーストがかかると一気に伸び、回転が上がるほどに勢いを増していく。6速ゲトラグの変速フィールも申し分なく、シフト操作はキレがあり、ダイレクト感も十分。
AP Racingのブレーキは圧倒的な制動力を誇り、どんな速度域でも確実に減速させる。その効き方はリニアで、ペダルの踏み込みに対するフィードバックも素晴らしい。6ポットキャリパーの強大な制動力を、思い通りの加減でコントロールできる安心感がある。
リアブレーキの冷却をサポートするインテークのクローズアップ。
バイクのようなスタイルのフューエルフィラーキャップは、後部座席跡に移設された燃料タンクへ直接燃料を供給するためのもの。
リアエンドを覆うエキゾーストパネルを装着した状態の外観。
Zero-Rはその独特なリアビューですぐに見分けがつく。ツインエキゾースト、専用設計のリアバンパー、スポイラーが特徴的だ。
この車を運転して以来、別のZero-Rを目にすることはなかった。HKSは3台のうち2台を販売し、1台だけを手元に残していると言われている。ブルネイ国王に渡った個体は今どこにあるのだろうか。そして、HKSに残された1台は、いまだにオリジナルの仕様のままなのかもしれない。伝説と呼ぶにふさわしい1台だった。