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The Mystery Of The HKS Zero-R




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記事提供元:SPEED HUNTERS
ライター:Mario Christou
イメージ:Mark Riccioni
 

まるで犯罪行為――「Japan Month」の締めくくりに、この伝説的なマシンを語らずに終えるわけにはいかない。HKSが生み出した究極のスカイライン、「HKS Zero-R」だ。
 

その存在は謎に包まれており、真の歴史を解き明かそうとするブログやフォーラムが無数に存在する。価格の推移は激しく、製作台数や正確な開発時期についても諸説入り乱れ、今なお確定情報を得るのは困難だ。
 

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1980年代後半は技術革新とバブル景気が交錯する時代。1989年、HKSはこの波に乗るべく、最新鋭のBNR32型 日産スカイラインGT-Rをベースにしたプロジェクトを始動させた。しかし、ここで重要なのは「これはスカイラインGT-Rではない」という点だ。
 

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Zero-Rとは、HKSが既存の市販車を超えた”スーパーカー”を生み出そうとした挑戦の結晶。当時のアルピナ、ルーフ、ブラバスのように、市販モデルをベースに独自の解釈で新たな領域へと進化させる手法に倣ったもので、単なるBNR32のチューニングカーではない。HKSは、このZero-Rを”独立した1台”として公道 homologation(型式認証)を取得するレベルまで改造を施したのだ。
 

しかし、そこに立ちはだかったのは、とてつもないコストの壁だった――。
 

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1990年代の日本におけるホモロゲーション(型式認証)取得は、途方もなく困難であり、莫大な費用がかかった。Zero-RプロジェクトにはHKSの技術力と情熱が注ぎ込まれていたものの、現実の壁はあまりにも高かった。複数のZero-Rをクラッシュテストに供する余裕はHKSにはなく、「日本発のブティック・スーパーカーを生み出す」という夢は、非情にも打ち砕かれてしまう。
 

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しかし、HKSがこのプロジェクトを完全に諦めたわけではない。1990年代初頭には、ホモロゲーションを取得せずとも完成形に至ったZero-Rがいくつか存在した。その一部は静岡のHKS本社に留まり、さらには1台がブルネイ国王の壮大なコレクションに加えられたとも言われている。
 

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「オリジナル」のZero-Rが1990年代に製作されたのは4台のみ、というのが一般的な見解だが、一部の情報では最大11台が生産された可能性があるとも指摘されている。当初は、Zero-Rに関する確たる記録がほとんど存在しないことから、4台説が有力だと考えていた。だが、さらに深く掘り下げていくうちに、ある驚くべき事実が浮かび上がってきた――。
 

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いいや、これは見間違いなんかじゃない。これは1993年当時に撮影されたフィルム写真であり、HKSの倉庫に保管されていた8台の本物のZero-Rが映し出されている。GT-R純正ホイールを履いたままの姿で静かに眠るこれらの車両は、元HKS USAの社員であるスコット・ウェッブ氏が撮影し、2013年にアメリカのGT-Rフォーラムへ投稿したものだ。
 

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この「8台」という数字を裏付ける証拠は、2000年代初頭のオーストラリアの自動車雑誌『High Performance Imports』にも残されている。誌面には、HKSのテクノマグネシオ製マグネシウムホイールを装着した8台のZero-Rがずらりと並ぶ写真が掲載されていた。
 

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初期のZero-Rはすべてシルバーに塗装されていた――少なくとも8台までは。しかし、ブルネイ国王のZero-Rはホワイトだった。しかも、これは最初の生産ロットの1台とされている。つまり、HKSは1990年代のうちに、少なくとも9台のZero-Rを完成させていたことになる。
 

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として正式に認可できる可能性が生まれたのだ。しかし、すでに製作された個体に関する混乱が収束することはなく、新たに何台が追加生産されるのかについても、確たる情報はなかった。
 

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そこでHKSは「Zero-R Version II」を発表。オリジナルコンセプトを受け継ぎつつ、最新のターボシステム、ブレーキ、サスペンションを搭載し、さらなる進化を遂げたモデルだ。2010年には、我々のDino Dalle Carbonareがこの最新型のステアリングを握る機会を得たが、それと時を同じくして、オリジナルのZero-Rに関する詳細な情報も徐々に明るみに出始めていた。
 

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しかし、それでもなお疑問は残る。Dinoの試乗記事には、ホワイトとシルバーの2台のZero-Rが登場している。しかし、ホワイトの個体が完全に新しく製作されたものなのか、それともオリジナルのZero-Rのシャシーに最新のパーツを組み込んだアップデート版なのか、その真相はいまだにはっきりしていないのだ。
 

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さらに謎を深めるのが、2007~2008年に登場した**「Zero-R Version III」**の存在だ。確認できる唯一の確実な写真にはブラックの個体が写っている。しかし、その後レッドのZero-Rが登場し、さらにはそれがパープルに変わった可能性もある。そして、さらに改造を施されたシルバーの個体も次々と姿を現し始めた。
 

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そして忘れてはならないのが、RAYSのVolk Racing RE30を履き、オーストラリアへ渡ったグレーのZero-Rの存在だ。この車両は比較的記録が残っており、詳細な情報が確認できる。また、今回の記事にも登場しているホワイトのZero-Rは、マークがステアリングを握る機会を得た1台であり、写真の中にその姿を収めている。
 

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写真証拠だけに基づけば、オリジナルのZero-Rは9台存在したことになる。シルバーの8台に加え、ブルネイ国王のホワイトの個体が確認されているからだ。さらに、Zero-R Version IIやVersion IIIの個体が加わることで、総数は14~15台に達する可能性がある。しかし、中には「17台が製作された」とする説もあり、実際の台数はいまだに確定していないのが現状だ。
 

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しかし、HKSからの正式な情報や生産記録が存在しない以上、正確な台数を検証する術はないのが現実だ。とはいえ、それこそがZero-Rの神秘性をさらに高めているとも言える。約40年前、HKSのビジョナリーたちが夢見たこの2シーターの世界最強マシン。その謎めいた存在は、今なお多くのクルマ好きの想像を掻き立て続けているのだ。
 

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近年、HKSの「Reborn” R34 GT-R」に注目が集まり、法外な価格で取引されるNismo Z-Tune R34や400R R33**に代わる存在として脚光を浴びている。その影で、Zero-Rはすっかり忘れ去られたかのように思えるかもしれない。
 

だが、真実は違う。Zero-Rの物語は、まだ終わっていない。
 

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HKSは今年、新たにZero-Rをゼロから再構築する計画を進めているという。かつて思い描いた理想をついに具現化し、BNR32シャシーをさらなる高みへと押し上げる時が来たのだ。
 

この先に待つ未来を見逃すな。そして、一瞬たりとも目を離すな。
 










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